Are you a Student or Professional?

女性シニアリーダーインタビュー

 

山上千晴

ゴールドマン・サックス証券株式会社
マネージング・ディレクター
 

 

子供時代

とにかく自立心がとても強い子供でした。母によると、ベビーカーに乗るのが嫌いな赤ん坊だったようです。集団行動が苦手でしたし、女の子の友達より弟とその男の子の友達と一緒に外で遊びながら、毎日どこかにケガをして帰ってくるような子供時代でした。5歳から10歳までをアメリカのテキサス州で過ごしその後日本に戻ってきましたが、日本の勉強になかなかついていけずに苦労しました。親元から離れたいという気持ちで、母の実家のある関西の大学に進学し、祖父母と一緒に暮らしていました。母の実家は呉服業を営んでいて女性はみんな働いていました。祖母は特に仕事を優先するタイプで、97歳の今もなお現役、70歳を超えた母も現役でバリバリ働いています。私は当時外交官や通訳など英語力を活かせる仕事がしたいと思っていたのですが、この呉服業が不思議な縁に繋がり、人生が全く違う方向に走りだすことになります。

学生時代、夢中になっていたこと

学生時代はとにかく勉強が苦手でした。「こんなことをやっていて、何か将来役に立つのだろうか」と思い始めたとき、呉服関係の事業を立ち上げようと奮闘している人に出会いました。呉服業には馴染みもあったので、軽い気持ちで手伝い始めたら、その仕事にどっぷりとはまってしまい、学校にほとんど行かずのめりこんでいきました。今でいうスタートアップのような感じでしたので、店舗を借り、人を雇い、提携業者を作り、営業や販売もやり、億円単位の借金をしながらすべての仕事を回していました。自分の人生の中で、あれほど働いた時期はありません。ところが気がつくともう25歳。とても充実した時期でしたが、ある程度軌道に乗ってきたタイミングでパートナーに経営を譲り渡し、東京に戻り就職しようと決意しました。

ゴールドマン・サックスに入るきっかけ

金融の世界に入ったきっかけは人材派遣会社の紹介でした。最初は金融に全く興味がなくその仕事を断っていたのですが、3か月だけという約束で入ると、初めて触れたお金の巡りにはまってしまい、2年後には社員になることができました。実は、その当時一緒に仕事をしていたトレーダーたちはゴールドマン・サックス出身の人が多く、仕事ぶりといい人柄といい、素敵な方々でかつ尊敬していたので、チャンスがあればいつか働いてみたいとその時から思うようになりました。当時お世話になった本部長もゴールドマン・サックスの出身で、彼が古巣で働くことになったのを機に一緒に働かないかと声をかけてくれたことから、念願叶って2005年に入社することになりました。入社後はずっとオペレーションズの仕事をしていますが、部門内では様々な仕事を経験してきました。2011年に業務の一部を海外オフィスに移管することになり、1年間シンガポールに単身赴任することになりました。

仕事の醍醐味

私は金融というよりもオペレーションズという仕事とこの会社が好きだという思いで働いてきました。オペレーションズはとにかく部門が大きく海外拠点も多いので、東京で働きながら中国をはじめ、東南アジアなどのビジネス拡大に多くの時間を使うなど、グローバル企業で働いているという実感が常にあります。他社ではオペレーションズはバックオフィスという位置づけが多いのですが、ゴールドマン・サックスでは独立した部門で、営業担当と顧客訪問に同行したり、同業他社と一緒に業界のシステム開発・構築や法整備に貢献できたり、新規ビジネス立ち上げにも一から参加させてもらっています。新しいアイディアややり方を提案することが奨励されますし、入社1、2年目からどんどん大きなプロジェクトに参加させてもらえます。若手のうちからグローバルチームのメンバーとしてこれほど活躍を期待される部門はほかにないのではないかと思います。

ゴールドマン・サックスの良さは、社員一人ひとりをフェアに見てもらえるところ、そしてたとえ間違っていても自分の疑問やアイディアを発言できる場が公平に与えられているところです。私はこの社風が自分の性格に合っているからこそ20年近くも働いてこられたと思っています。

辛かった経験

やはり大変だったなと思うのは東日本大震災のときです。当時、私が率いていたチームには外国人がとても多く、地震で婚約者が日本に来られなくなったり、妊娠中で心配だったりなどプライベート面での不安を抱えてしまっているチームメンバーがたくさんいました。そんな部下の相談に乗りながら、業務体制についてはグローバルマネージャーのアドバイスを受けながら対応するなど大変な時期でしたが、同僚やチームメンバーに支えられて乗り切ることができたと思っています。さらに日本の社長を含め会社の幹部のリーダシップにも勇気づけられました。地震発生から数日後に、香港をはじめ世界中のオフィスから幹部たちが次々と来日し、日本の社員を激励していました。多くの外国人が日本を去る中、ガラガラの飛行機に乗ってきたという彼らの話をいまだに鮮明に覚えています。この会社に入社してから一人で仕事をしているなんて一度も思ったことがないですが、地震のときはこのチームワークが本当に大きな財産だと再認識しました。

若いうちに経験しておけばよかったこと

30代半ばでシンガポールに赴任したときに、どうしてもっと早く海外勤務を希望しなかったのかと後悔しました。シンガポールでも業務内容は日本とほとんど変わらなかったのに、外から日本を眺めてみるといろいろな違いが見えてきます。日本にいると、日本のお客様の言うことややり方が当たり前に思えますが、アジアのオフィスで複数の国の業務を一括管理していると、日本のやり方が必ずしもスタンダードでないことに気づき、自分の視野が自然と広がります。若いころにこういう経験を積むことは大きな財産になると思います。少なくとも私がもう少し若い時に海外勤務に行っていたらもう少し早く出世できていたのではと思ってしまいます(笑)

メンターからの言葉

私はいい上司、いい同僚、そしていいメンターに支えられてきました。いろいろ相談させてもらった中で、今でも大切にしている二つのアドバイスがあります。一つ目は、体力と精神力をきちんと整えるということ。このアドバイスをくれた先輩は、「優秀な人はこの会社にたくさんいて、頑張れば自分もそれなりのところまでいける。ただどんなに仕事ができても、肉体的にも精神的にも強くないと結果は出せない」と言われました。二つ目は「Get your personal life sorted」です。仕事がすべてではない、プライベートも同じように大切にして、仕事との両立ができる環境を自分で整えるべきということです。

メンタルを鍛えるという意味では、一人で抱え込まないことが重要だと思っています。何かを悩んでいるときに、同じ悩みで苦労した人が会社のどこかにきっといるはずです。上司やメンターはもちろんですが、特に同僚、チームメイトを信頼してその悩みを打ち明けると解決への道が見えてくることもありますし、楽になることが多いです。市場が荒れていた時にたまたま来日した上司の言葉が心に残っています。この世がつぶれてしまうような気持ちで必死に働いている時、人間は外の世界を忘れがちだと。「そういうときに窓の外を見てごらん。荷物を運んでいるトラックの運転手は知ったことじゃないと思っているよ」と言われ、本当にその通りだなと思いました。

若手社員へのアドバイス

私がメンターとしてサポートしている若い社員たちには、いろいろな業種の人と付き合って自分のキャビネットの中にたくさんの引き出しを持ち、広い視野で物事を捉えられるようにとアドバイスをしています。引き出しをたくさん持っていると心に余裕が持てます。私自身、友人のほとんどが金融以外の業界で働いていますし、実は夫もジャズ・ミュージシャンで会社勤めをしたことがありません。私がマネージング・ディレクターに昇進したとき、「えー、ヴァイス・プレジデントの方が響きが格好よいのに」と言われたくらい金融の世界とは全く無縁な夫ですが、そこが逆に刺激となり、夫婦円満の秘訣なのではないかな、と思っています。

 

出身地

東京都

家族構成

趣味

料理

好きな本

「一分で話せ」 

好きな映画・番組

スターウォーズ、ゴッドファーザー

好きな曲・歌手・音楽

スティーリー・ダン

思い出に残った旅行先

石川県・金沢

座右の銘

生きていれば何とかなる

ゴールドマン・サックスで
働いていなかったら

ドッグウォーカー(無類の犬好き)